これは、とあるサイトに投下した書き殴りの記事である。
それを一部抜粋してお送りする。
最近、脳のパフォーマンスが著しく低下していた。それも数ヶ月くらい。
店舗というものを回していく中で、いつの間にか経営という脳みそが衰退し、短期的なただのビジネスマン、サラリーマンとなっていたような気がする。
理由は明白で、自分の店舗が完全出資であるから。出資者が気に入らない・止めると言ったら終わる。選択権を握られている時点で、いくら自分が努力を重ねても、姿勢で示しても、それはロボットのようなもので
操縦者が席から離れようものなら、途端にただの鉄屑と化す。風化し、廃れたロボットには元からあった価値はなく、中古価格で買い叩かれるのが資本主義という世の中だ。
1年間、自分で血を流し込んだ店舗でその事に気付いた時、心臓の音が聞こえなくなるような、小さくなるような感覚に見舞われた。
これも最近の話だが、巷では生成AIというものが猛威を振るっている。たった数秒で合成音声での読み上げがついた動画が完成する世の中になってきた。
気づけば、Youtubeもテンプレート化された動画が増えてきて、配信の切り抜き関係の動画では白と黄色と赤色の大文字が使われたサムネイルをイヤというほど目にする。
この先の未来を考えた時、人のロボット化の加速が起こるように思った。
本来、生み出されるはずだった発想・アイデアは、優秀なAIに取って代わる。アイデンティティは剥奪され、人々が好むように作られたテンプレートに沿って均一化されたものへと生まれ変わる。元々あったアイデア性は失われ、統一されたPRによってマスへと拡散される。切り抜き動画で流行っているサムネイルのように。
いずれは中のコンテンツも、マスを意識した瞬間、いつの間にか似たようなもので溢れかえってしまうのではないだろうか。ストグラやVCRなど、大人数コラボのコンテンツが頻発している事からもこの傾向を少し感じていて
実際、にじさんじのVtuber”叶”の配信をよく見るが、ストグラとその他ゲームをしている時の閲覧数は大きく乖離がある。配信者の個性がスパイスとしての役割でしかないのにも関わらずコンテンツが爆伸びしているのは、つまりはそーゆー事なんだろう。
ただ、今はスパイスが占める役割はとてつもなく大きいからバランスが取れているのかもしれない。提供してくれるストリーマー達は、外部の声など気にせず自分達の好きな事をやり続けて欲しいと切に願う。
話が脱線気味だったが、AIによって供給スピードが上がる事により、好みのステレオタイプ化が起きると思っていて
だからこそより自己というものを確立しないといけないし、矛盾するようだけど、思想に基づく商品が売れるのかもなーと思う。
もし、個別化したアイデンティティが確立されるようなAIが生まれてくる時には、各個人の存在理由は急激に薄れ始めるのかな。
この世は便利になりすぎたし、これからももっと便利になっていく。安価で利便性を手に入れられるようになっていく。もちろん使わない手はないし、なんなら使いこなせないとダメ。非効率
自分の世界観を作るために使い倒す。消費するのではなく、生産するために使用する。ここ半年間の俺は、まさしくロボットだった。何かに怯え、周りを気にして生きていて、自分が自分じゃないようで気持ち悪かった。多少は気にするし、気配りもするけど、自分が死ぬくらいならしない方がマシだった。
今はある種の呪縛、くびきから解放されたような感覚がして、なんだか清々しい。この感覚を忘れないよう、がむしゃらに書き殴った。文章も文脈もぐちゃぐちゃかもしれないが、下書きにするよりマシだし、”今の俺が書いた文章”だから記録しておく。この数ヶ月間、なんやかんや総計1万字を超えるくらいは書いていたと思うが、全て下書きのままだったから。久しぶりに脳のパフォーマンスが戻ってきた気がして嬉しい。原因は多分、いい文章を読んだからかな。俺も、誰かが読んだ時にその人の脳を活性化できるような文章を書ければいいなと思う。
自分の人生にこそ最も心血を注ぎ込むべきで、それこそが1番の資産となる気がする。俺みたいなやつもいれば、上記したやつみたいな人もいる。どちらにせよ言えるのは、ヒッピーみたいな生き方や自給自足ではなく、資本主義という社会の中で生きていく以上、自分というものを明確にしないとただ、埋もれていって終わるんだろうなという事。ロボットとなることが当たり前になりかけている世の中で、こうして人として自分の意思を持って動くことは、20代のうちにしなければならない重要項目の一つであると考える。
まさしく灯台下暗し、無色透明のチャンスカードである。暗闇の中をもがいているようで、案外自分の中に明確な道標があったんだなと思った。