頭がいい人は世の中に一定数いる。
それはIQ的な意味でもあるし、要領が良かったり、要点を掴むことがうまかったり。はたまた人間関係の構築力が高かったり、大きなリーダーシップを発揮したり、交渉ごとに向いていたり、誰も考え付かなかったアイデアを着想したり。
さまざまな方向性において、頭がいい、頭が切れるという言葉は使われる。そして、大抵は絶対値ではなく相対値によって判断される。
高校における校内順位がまさにそれだ。学校内のテストや成績によって順位づけされるアレ。校内トップの人間は、その環境においてはトップでも他の高校だとどうなのだろう。
私の高校は県内では一応進学校寄りの学校ではあり、偏差値で言うと60前後といったところだった。この高校では特に順位の掲示などは行われていなかったが、おそらく上から数えた方が早いくらいのところに私は居たと思う。では別のより頭のいい高校に入っていたら?
下から数えた方が早いだろう。実際、大学の入試は受かったものの、下から数えた方が早かった。これは至極当たり前のことだ。
何が言いたいのかと言うと、自分のことを有能だと思うなということである。
世界は広く、自分より優秀な人間がごまんといる。
リーダーをしていたり、組織の中で上から数えた方が早いポジションにいる人間はよく自分のことを優秀だと勘違いしがちだ。私もそうで、自分は圧倒的なリーダーだと、覇を持った人間だと信じて疑わなかった。実力を過信する人間は無能だ。できもしないのだから成果も出ないし、組織にとって必要な人間が離れていく悪循環を生む。そんな人間に誰が手を差し伸べ、誰がついていくのだろう。
今でも私は自分のことを、圧倒的なリーダーであり、覇を持った人間だと信じて疑わない。
しかし、自惚れと信念は違う。自分の実力、できることとできないことを明確にした上で、できることを増やしていく。自分の力を過信し過ぎるな。自分は無能だと思え。偉大だとされたリーダーも、最初はただの素人だ。天性のセンスによる伸び代はあるにしろ、誰もがあぐらを描かずに努力をしている。
自分を優秀だと勘違いし、努力を怠った人間に成長はない。あるのは高過ぎる理想と現実のギャップによる半永続的な苦しみと孤独だ。誰もが最初はできないのだ。小僧の精神で生きよう。