国立大学の新卒カードを捨て、起業の道を進む。

このサイトを見ている人はご存知かもしれないが、私は中四国ではトップの国立大学に進学し、卒業している。

とはいえ、別に首席で合格した訳でもなく、滑り込みで入って、そのまま滑り込みで卒業した平凡な大学生だ。

 

大学に入る前から都会に対して憧れがあり、大学1年時は

「田舎の大学に進学したのだから、就職先は絶対に東京にしよう。」と意気込んでいた。実際、東京の大手企業に就職している先輩から紹介を受け、一年生にして大手企業の人事の方とお話をしたり、その流れで就活コミュニティのエンカレッジにも顔を出したりしていた。

 

今はその全てを覆し、起業の道を選択をすることにしたのだが、1回目の起業は失敗に終わる。大学近辺にシーシャ屋を完全出資の元オープンし、1年間回したが、人間関係で失敗して店を降りる事となった。

 

今、自分にあるものは何なのか。自分ができることは何なのか。自分自身は何者で、何を成し遂げたいのか。そんなことを考えながら早3ヶ月が経ち、大体の方針が決まって動き始めている。

 

これは、将来起業したかったり、自分の理想に生きたい若者、特に地方に住む若者に向けて文章を書いているが、起業とは自分が思っている以上に茨の道である。

なぜなら、今思っていることは大体他の誰かも考えていて、すでに始めているからだ。自分なんかよりも資本を持ち、スキルも実績も社会的信用も持ち合わせている誰かが、あなたの考えのさらに数段上のレベルで物事を進めている。

 

そんな状況の中で、スキルも経験も実績も金も人脈も、何もない私たちは戦わないといけない。これは弱小国家と列強の戦争と同義だ。

しかしながら、生きるためには食わねばならず、食うためには金がいる。金を稼がなくてはいけないのに、自分の力で稼ぐことができないからバイト生活。周りは内定が決まっていたり、懸命に働いているにも関わらず、就職せず、フリーターとして生きる事に対する理想とのギャップにとんでもない劣等感を感じる。

バイトからの帰路につきながら、なぜこんな人生を送っているのだろう、自分は選択を間違えたのだろうか、このままではお世話になった家族や周りの人に申し訳が立たないと嘆きながら、それでも食うためにバイトをする。自己肯定感はダダ下がり。生きている価値を見出せない。自分の境遇が恥ずかしすぎて死にたくなる。

 

こんな状況になっても尚、踏ん張れるやつは起業家に向いていると思う。意地でもやってやると、時間によるプレッシャーも跳ね除けて進んでいけるやつだけ残ると思っている。

 

だからまずは知ることから始めよう。

知識をつけねば、戦い方もわからない。成果も何もない俺がいうのは言葉が軽いが、俺は自分の信じる世界線を作り出して見せよう。